毎年、節分と春・秋に開かれる「壬生狂言」で有名な壬生寺。
重要無形民俗文化財の壬生狂言は、
700年以上続く仏教の教えを、
パントマイムのような仕草で表現したもの。
演目の最初に行われる災厄よけの「炮烙割(ほうろくわり)」では、
たくさんの皿が勢いよく落とされます。
壬生寺(みぶでら)とは
壬生寺は平安時代前期から続く由緒あるお寺です。
中興の祖・円覚上人が悪疫退散のために行ったのが、
壬生狂言の始まりと言われています。
壬生狂言と並んで壬生寺の名を高めているのが、
新選組の存在です。
新撰組 ゆかりの地
江戸時代末期に寺の境内が兵法調練場とされ、
隊士たちの武芸の訓練が行なわれました。
現在では新選組ゆかりの寺として、全国から多くのファンが訪れます。
境内の阿弥陀堂をくぐりぬけて朱塗りの橋を渡ると、
壬生塚があります。ちなみに阿弥陀堂の地階は「壬生寺歴史資料室」になっています。
壬生塚には新選組局長・近藤勇の胸像と
遺髪塔、新選組屯所で暗殺された
初代局長・芹沢鴨と平山五郎の墓、池田屋騒動で亡くなった隊士など7名を合祀した墓などがあります。
新選組は1863年2月、この地で結成されました。
寺の近くにあった八木家、前川家、南部家が屯所(隊士たちの宿泊所)となりました。八木家と前川家は今も残っています。
壬生寺には沖田総司が境内で子どもたちと遊んだとか、
近藤勇をはじめとする隊士たちが壬生狂言を観賞したという逸話が残っています。
新選組が壬生寺で「すもう興行」を行い、寺の池の魚やすっぼんを料理して、
力士に振る舞ったという話も残っているそうです。
実は新選組が壬生に屯所をかまえたのは、わずか2年余り。
しかし今も新選組の隊士を「壬生浪士」と呼ぶのは、
ここでの彼らの活躍があまりにも鮮やかだったからではないでしょうか。
幕末好きの方も、そうでない方も、
この地でエネルギーをぶつけあった若者たちの熱い思いに触れてみませんか。
壬生寺 動画
壬生寺の散策
祇園ばやし